正常価格は「ある」価格?②

更新が遅くなってしまいました。申し訳ありません。

さて、正常価格は「ある」価格らしいのですが、まず正常価格の前提となる「現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる条件を満たす市場」とは基準によると以下のような市場です。

(1)市場参加者が自由意思に基づいて市場に参加し、参入、退出が自由であること。
なお、ここでいう市場参加者は、自己の利益を最大化するため次のような要件を満たすとともに、慎重かつ賢明に予測し、行動するものとする。
① 売り急ぎ、買い進み等をもたらす特別な動機のないこと。
② 対象不動産及び対象不動産が属する市場について取引を成立させるために必要となる通常の知識や情報を得ていること。
③ 取引を成立させるために通常必要と認められる労力、費用を費やしていること。
④ 対象不動産の最有効使用を前提とした価値判断を行うこと。
⑤ 買主が通常の資金調達能力を有していること。
(2)取引形態が、市場参加者が制約されたり、売り急ぎ、買い進み等を誘引したりするような特別なものではないこと。
(3)対象不動産が相当の期間市場に公開されていること。

まず、このような市場は現実に「ある」のでしょうか?
私は特に(1)の部分の市場参加者の要件はかなり難しいのではないかと思います。②について言えば、ほとんどの人にとって不動産を買うということは人生に一度、二度といった経験であり、不動産の取引について十分な知識を持って臨んでいる人は少ないのではないでしょうか。特に専門業者と一個人では知識、情報量はかなり格差がある印象があります。(これは不動産に限ったことではないかもれませんが。)

このことは基準でも、

不動産の現実の取引価格等は、取引等の必要に応じて個別的に形成されるのが通常であり、しかもそれは個別的な事情に左右されがちのものであって、このような取引価格等から不動産の適正な価格を見出すことは一般の人には非常に困難である。したがって、不動産の適正な価格については専門家としての不動産鑑定士等の鑑定評価活動が必要となるものである。

と述べており、こういったことから私は、現実には正常価格が予定しているような合理的な市場は存在しないと考えています。(もし存在していたらそのような市場で成立する価格は正常価格ばかりで、他の価格は別として正常価格を求める鑑定評価の必要は無いのではないか。)

それでは正常価格は「ある」価格なのか。不動産には合理的な市場はない、だから鑑定評価が必要だとするなら、正常価格は「ない」価格ではないのでしょうか。だから不動産鑑定士がその価格を鑑定評価するのではないのでしょうか。

基準は不動産の鑑定評価について

この社会における一連の価格秩序のなかで、対象不動産の価格の占める適正なあり所を指摘することであるから、その社会的公共的意義は極めて大きいといわなければならない。

としていますが、このような書かれ方をすれば、求めるべき価格は「あるべき」価格のようにすら思われます。
「適正なありどころを指摘する」→「あるべき価格を提示する」
という意味に私には取れます。
もし「ある」価格ならば「適正な」も何もない気がします。「ある」のだからありどころをそのまま指摘すれば足ります。

いったい「ある」のか「ない」のか「あるべき」なのかごちゃごちゃしてきてしまいましたが、この件についてずっと考えているうちに思ったことは、基準や要説は
『正常価格は「ある」価格だ』
と言いたいのではなくて、
『正常価格は「あるべき」価格ではない』
と言いたいのではないかということです。

「あるべき」価格という表現が、現実の市場を無視した鑑定評価を是認するかのような響きを持っていたために、決して鑑定評価はそのような価格を鑑定するものではなく、現実の市場を前提とした価格を鑑定評価するものなのだということを言いたかったのではないか。それを「あるべき」に対して「ある」という言葉で言ったに過ぎないのではないかということです。
『「べき」がついていたら何でもありになってしまう』という懸念から「べき」をとったら「ある」になった、というぐらいの意味なのかなと。

そういう意味では私も正常価格が「あるべき」価格でいいとは思いません。(上記の基準の「適正な云々」という表現は変えた方がいいと思う。)

かといって、私は正常価格が「ある」ということにもしっくりきていません。もし、現実の市場で正常価格と同じ価格で取引された事例があったとしても、それは正常価格の前提となる条件を「満たさない」現実の市場で、たまたま成立した価格にすぎないのであって、正常価格の前提となる条件を満たす市場で成立した正常価格ではないと思うからです。それをもって現実に正常価格が「ある」と言うのは違和感があります。

いろいろと私見を述べてきましたが、そもそも合理的な条件を満たす不動産市場は存在しないとの私の考えを前提に展開していますので、そこの認識が誤っているのかもしれません。いずれにしても私自身勉強不足であり、以上に述べた意見も穴だらけでしょう。これからも、この件についてはいろいろと考えて行きたいと思います。

もし「ある」価格という言葉が、『正常価格は市場を無視した価格であってはならない』という意味で用いられているのならば、個人的には「あるはず」の価格や、「ありうる」価格などの言葉の方がしっくりくるのですが、どうなんでしょうか。

  • ちょっと書いてて自分でも何が言いたかったのかよくわからなくなってしまった面もありますが、自身の勉強のためにそのままアップさせていただきます。読むに値しない文章になってしまいましたがご容赦ください。